人生で大事なことは○○から学んだ 羽根つき餃子の八木功さん

1月22日の「所&林修!人生で大事なことは○○から学んだ」に、羽根つき餃子の考案者「你好」の八木功さんが登場。

中国残留孤児餃子として日本に帰国して、餃子のお店を出すまでもすごいが、開店してから30年以上も一日も休むことなく餃子を作っているという。

本気の人には、その周りに助けてくれる人が現れる典型的ともいえる例に感じた。

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自分で肉を挽く

1日50キロの豚バラ肉を毎日2時間かけてひき肉にする八木さん。「自分の目で見て挽かないと何の肉入れてるかわからない。自分で挽けば安心してお客さんに喜んでもらえる」という。

ぎょうざの餡の中身になる野菜も手作業で切る。白菜とキャベツをあわせて一日50玉。「野菜の栄養が逃げないように」手で切るのだと。

45歳で料理学校と日本語学校に

日本語が話せずに仕事も見つからなかったという八木さんは、中国で食道を営んでいたお父さんのような料理の仕事がやりたいと、中華料理の学校に通いながら、接客に困らないように45歳で帰国子女の子どもたちに混ざって小学校の日本語学級で読み書きを学んだ。

このときの担任の義元先生は、八木さんより20歳下だが、これが運命の出会い。

残留孤児に日本語を教えていた義元先生によると「(子どもたちよりも)とにかく一生懸命」で、そういう八木さんをみて義元先生も励みになったという。

日本人の口にあう餃子作り

八木さんは自分の料理が日本人の口に合うかどうかを、先生たちに味見をお願いしたという。

そこで自信のあった水餃子をだすと、日本では焼き餃子のほうが人気だと言われ八木さんは驚いた。

中国で餃子といえば水餃子だが、それでも素直に義元先生の意見を受け入れ、さまざまな店の焼き餃子を食べ比べ、自身も焼き餃子に挑戦。

焼き餃子を作るときに思い出したというのが、当時日本ではなじみのなかったモチモチの皮とたっぷりの肉汁の小籠包。

さらに、小さいころに食べた焼きまんじゅうのパリパリのおこげを思い出し、これもぎょうざにとりいれ羽根つき餃子が誕生。

義元先生も「うめ~っと思った」という。「まったく予想してないものを作って、これすげー、なんじゃあ」みたいな。

店を出したときの看板メニューにできると、手ごたえを感じたという。

しかし、現実には店を出すなど遠い夢でしかなかった。

義元先生のサプライズ

そんなある日、義元先生に連れられて大勢の人に羽根つき餃子をふるまったが、それは義元先生がおいしければ開業資金を寄付してほしいと頼んで集まってもらったものだった。

義元先生は「食べればみんな納得する。みんなハッピーになれる。だからたぶん寒波も集まるだろうと確信はあった」という。

結局、見たこともない、失敗作にも見える羽根つき餃子を食べた人たちから絶賛され、最終的に78人から合計370万円が集まりお店をオープンした。今もその人たちの名前が額に飾ってある。

義元先生が感動するほど熱心に日本語を学んだことで、羽根つき餃子がうまれた。

40歳をすぎても、思いと行動でまわりの人たちを巻き込んで、そして今も情熱をそのままに毎日お客さんに喜んでもらっているなんて!

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